ヘルシンキから西に100キロの場所にフィスカルス(Fiskars)という住民千人未満の村があります。
フィスカルス村とフィスカルス社は17世紀設立されてから最近の数十年まで分けたくても分けられない運命をともに歩んできました。
しかし、近年フィスカルス村は工業の町からアーティストの町へ変身することに成功し、フィンランド内並びに世界中から注目を集めています。
果たしてどのようなに注目されてきたのか一緒に探っていきましょう。
※ちなみに、フィスカルス社は現在イッタラ、アラビアなどの有名フィンランドブランドを所有している会社です。
※写真はFiskars Villageより引用
フィスカルス村とフィスカルス社の運命
フィスカルス村とフィスカルス社の運命が常に深く繋がっていると言っても過言ではありません。
フィスカルス村の設立は1646年でその3年後にフィスカルス社がフィスカルス村で創立されました。
フィスカルス社は最初オランドの商人が設立したもので、高炉を用いて鍛治業を行っていました。
ちなみに、フィスカルス社はフィンランド最初の私人所有会社です。
その後、会社の持ち主は変わったものの、フィスカルス社のビジネスは製鉄、銅鉱などに関連していました。
1649年から1980年代の間、約350年間に渡ってフィスカルス村は製鉄業と商業が中心でした。
しかし、フィスカルス社は1980年代に入り、この村では会社がグローバルに展開するには対応できる規模を持つ町ではないことを認識し、この村から出ていくことを決めました。
その後、フィスカルス社は自社施設をより大きいな規模を持つフィンランド国内の別の場所及びアメリカへ移し、350年間共に歩んできたフィスカルス村を後にしました。
フィスカルス村の再生のきっかけ
1990年代のある一日の夜にフィスカルス社の役員の一人がベッドでなかなか寝付きませんでした。
彼は300年以上生きてきたフィスカルス村にいかに再び活気を取り戻してもらえるかを悩んでいました。
その夜に彼が思いつきました。
フィスカルス村に残された空っぽの工場と数多い空き家をどうするか。
「フィスカルス村に人々に来てもらう!アーティストとデザイナーに来てもらうのだ!」
「私はヘルシンキのクリエーティブコミュニティに破格の条件でスペースを提供する!」
彼は驚くほどの値段で工場のスペースと空き家を貸し出すことで、20人ほどのアーティストとデザイナーを集めることに成功しました。
それから毎週問い合わせの電話が来るようになりました。
その時から20年が経つ今、現在約600人が住むフィスカルス村には多くの有名アーティストやデザイナーが住んでいて、家具デザイン、現代ガラス芸術、宝石アクセサリーなどの分野で活躍しています。
※写真はFiskars Villageより引用
フィスカルス村の現在の姿
1995年ころにフィスカルス村に移住してきた最初のアーティストやデザイナーたちはこの村が死んでいく姿を目の当たりにしていました。
当時この村で営業が続いていたのがナイフ工場だけでした。
しかし、それから3年後にこの村で初めてセラミック製品の国際展示会が開かれました。
それでより多くのアーティストやデザイナーが我々がやっていること、頑張ってしていることを見てくれました。そして、この村に移住したい人が増えてきました。
多くの人々はフィスカルス村に住むアーティストやデザイナーは多少フィスカルス社と何かしら仕事や提携関係があるのではないかと考えているようだが、実際にフィスカルス社は場所を提供しているだけで、我々の仕事には直接関与していないのです。
この町に活気を取り戻してもらうようにするのは我々の仕事でもあります。
当初から20年が経つ現在、アーティストやデザイナーであれば誰でもお得な価格で移住できるわけではありません。
旧工場の空きスペースが空き家が埋まってきたので、入居者を腕のレベルで選んでいるほど人気になっています。
単純にコピーだけではうまく行かないフィスカルス村の村おこしモデル
廃村寸前のフィスカルス村が見事に復活したことを見てヨーロッパや中国など世界各地からも多くの関係者が寄せてきて、自国の村おこしに参考したいそうです。
しかし、フィスカルス社の役員はそう簡単にコピーできないと考えています。
「フィスカルス村の成功は一ついい事例になるかもしれません。しかし、他の国にある他の町には基本的にある重大な問題点を持っています。不動産、土地、スペースを所有していないのです。彼らは我々のように不動産、土地、スペースの利用に直接的な決定権を持っていないのです。」
※写真はFiskars Villageより引用
更に、彼が言いました。
「そして、最初から観光客を招いたり、利益を出したりすることを度外視するのです。すべてはフィスカルス村のコミュニティを作るためだったが、結果的に町の発展も会社へ利益をもたらすこともできました。」
2000年代に入ってからフィスカルス村での不動産運営がフィスカルス社に売り上げや利益の貢献ができるようになりました。
フィスカルス社もフィスカルス村で所有するすべての不動産や土地を売り出す選択肢もあったが、ヨーロッパ最も歴史の長い会社の一つとして、彼らはフィスカルス村を継続運営することを選びました。
※写真はFiskars Villageより引用
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ショップコンセプト
1.フィンランド 北欧というと?
フィンランドもしくは北欧というと「幸福度が高い」「社会福利が充実」「なんかみんな楽しく生活している」というイメージを持つのでしょうか。ただし、実際に見て感じてみると、合致する部分もそうではない部分も見えてきます。良いと思う部分をうまく取り入れ、そうではない部分も積極的に理解することが大切だと思います。そのため、キートスショップは「フィンランドもしくは北欧と日本の交流を促進し、人々により幸せな生活をして頂く」ことの実現を目指していきたいです。
2.雑貨と現地ツアーに通じて幸せを増やしたい
「フィンランドと日本の交流を促進し、人々により幸せな生活をして頂く」という目的を果たすため、キートスショップ現在は「フィンランド雑貨販売」と「ヘルシンキ現地ツアー」の2軸で事業を展開しております。フィンランドの雑貨が好きな方により良い製品、より早く、より良い価格でご提供し、フィンランド雑貨をお客様が手に取る際の喜びを想像しながら事業を運営しております。また、実際にフィンランド・ヘルシンキまで旅をされた方々にはフィンランド文化の核心価値を実際にご体験頂けるヘルシンキ現地ツアーをサービスとしてご提供しております。
「キートスショップで買ってよかった!」「キートスショップのツアーに参加してよかった!」というお客様の声を糧に、より良い商品を提供できるよう、より良いツアーを提供できるよう進めていきたいと思います。
3.運営に「誠実」と「感謝」
「フィンランドや北欧と日本の交流を促進し、人々により幸せな生活をして頂く」目標に目指しながら、キートスショップは感謝の気持ちをベースに「誠実に対応する」ことを運営の第一事項にしております。いかなることに関しても最大限誠実な対応を致しますので、ご意見・ご質問は随時お問い合わせください。遅くても24時間以内にご返答致します。お問合せフォーム、メール:ken@kiitos.shop
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「Kiitos」はフィンランド語で「ありがとう」を意味する言葉。『フィンランドには優れたデザインや製品を提供してくださることに、日本の方々には外国の文化を理解して頂くことに感謝し、ショップ経営に取り組んで行きたい』そのような思いから、ショップ名を「キートスショップ」にしました。
キートスショップは、「フィンランドや北欧と日本の交流を促進し、人々により幸せな生活をして頂く」ことが実現されるよう努めてまいります。
キートスショップスタッフ一同より(フールバージョンはこちら)