フィンランドは1917年に独立以来、国内で起きた大きいな戦争はフィンランド内戦、冬戦争と継続戦争です。
その中でフィンランドの運命を決めた重要な戦争は対ソ連(ロシア)に行われた冬戦争と継続戦争です。
※英語ではWinter WarとContinuation Warで、フィンランド語はTalvisotaとJatkosotaです。
この二つの戦争でソ連(ロシア)に「負けなかった」ことが今でも小国フィンランドとして国民の心の中で強い誇りとして残っています。
時にはフィンランド国営放送で戦争時のドキュメンタリーが放送されたり、ニュースで取り上げられたりして大国ロシアと勇敢に戦う姿は今でもフィンランドの人々は忘れられません。
フィンランドとソ連の間に冬戦争勃発の経緯
フィンランド独立後、ソ連(ロシア)はずっとその国境に文句がありました。
その理由は、フィンランドとの国境はソ連(ロシア)第2の都市レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)にとても近かったです。
距離にしてはわずか32キロしかないので、ソ連としては国第2の都市の安全保障の一つ大きいな課題でした。
このような背景の中、第二次世界大戦勃発後に、ドイツとソ連は両国の間にある東欧北欧の国を二分する秘密条約が結ばれ、この条約によって東欧北欧の半分がドイツ、半分がソ連の影響範囲として定められました。
その中、フィンランドはソ連の影響範囲に決められたのです。
1939年11月、ソ連は国境の近くの小さい村がフィンランド軍から砲撃を受けたことを理由に軍隊をフィンランドに向かわせ、戦争を始めました。
フィンランド軍は約30万に対し、ソ連軍には40~70万人の兵員が投入されました。
フィンランドとソ連が戦った3ヶ月の冬戦争
冬戦争は主に1939年の11月末から1940年の3月中旬までの3か月半の間に戦われました。
戦争は主に3段階に分かれ:ソ連進撃段階、一時停止段階、ソ連再進撃段階。
そして、戦争が主に行われたエリアはイスムス地峡とラドカ湖周辺で、フィンランドとソ連の国境の南の部分に集中しています。
ソ連の戦略はラドカ湖の南と北側の両側から同時に侵攻し、北側の軍隊がラドカ湖を回れば、ラドカ湖南側のイスムス地峡のフィンランド防衛線を背後から挟み撃ちできるという考え方です。
そして、フィンランド北部に対し、カレリア地方からフィンランド中北部の都市オウルを目指し、オウルを取ればフィンランドを南と北に分断できる算段です。
この戦略は主に1939年の12月に実行されたが、南側ではフィンランド軍の頑強な防衛によってソ連軍は多大な犠牲を払いながら全く進められませんでした。
フィンランド北部では、フィンランド軍はゲリラ戦に特化し、高い機動性を伴うスキーを活用した戦術が功を奏し、規模が大きく、移動が遅く、縦列が長いソ連軍にとって頭の痛い存在でした。
そのため、ソ連は1940年1月に攻撃を停止し、戦略の見直し、大量な兵員や武器の補充に従事し、2月に再度攻撃を初めました。
ソ連は完全に物量と国力の強さで勝負に出ました。
兵員の数に限界のないソ連と戦う小国フィンランドは、西欧諸国からわずかな援助、近隣諸国に助けてもらえない中、イスムス防衛線が破られ、講和をせざるを得なくなりました。
2月末に平和条約の交渉が進められ、領土の一部をソ連に明け渡すことで3月中旬に冬戦争が終わりました。
この平和条約によってフィンランドはカレリア地方大半の土地を失い、フィンランド重要な工業都市Viipuri(現ヴィボルグ)も失いました。
※Viipuriは当時フィンランド生産力の20%を担う重要な都市でした。
Viipuriの市民は自分の家を捨て、引っ越すことを余儀なくされました。
しかし、小国のフィンランドはわずか30万の兵力で大国ソ連の倍ほどの軍隊との戦いが劣勢にもかかわらず、ソ連軍死傷者が35万に達したことに対し、フィンランド軍の死傷者がわずか7万人という結果を残しました。
フィンランド人にとってはとても誇り高い一戦でした。
※戦車はフィンランド32両に対し、ソ連2000両以上。航空機フィンランド114機に対し、ソ連は3880機。
冬戦争はわずか3か月半ほどで終わりましたが、ソ連からフィンランドに対する様々なプレッシャーは緩められませんでした。
それで、わずか1年ちょっとしかない平和が破られ、フィンランドとソ連の継続戦争が1941年6月に勃発しました。
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