マリメッコは、「マリーちゃんのドレス」という意味を持ちます。
このブランド名が表すように、それまでのマリメッコはあくまで女性のためのドレスを作っていました。
女性が、自分らしくあることができるための服です。
マリメッコが生まれた1950年代の女性の多くは、コルセットなどで締め付けられたファッションで身を包んでいました。
それは当時の女性にとっての美のかたちでありながら、同時に縛りでもあったのです。
そこから解き放ったのがマリメッコ。
女性が自分らしくいられる服を、示しました。
思わず踊りだしたくなるような大胆なデザインは、多くの女性たちの身も心も解放したのです。
マリメッコが手に入れた、もうひとつの武器
マリメッコの誕生から約20年。1970年代のこと。
カラフルで、かつ大胆なデザインが特徴的だったマリメッコに、シンプルなデザインや、ユニセックスなデザインが登場しはじめるのがこの時代です。
カラフルで大胆なデザインから、シンプルでシックな、ユニセックスデザインまで。
1970年代は、マリメッコがまたひとつ大きな武器を手に入れた時代でした。
また、この時代に新しく登場したもののひとつに、キャンパス地のバッグがあります。
これはマリメッコの創業者であるアルミ・ラティアの息子、リストアッティ・ラティアがデザインしたもの。
その中でも、マツクリ(Matkuri)やオルカラウック(Olkalaukku)は、まさにユニセックスなデザインで、現在も人気のアイテムです。
日本人デザイナーの活躍
1970年代は、日本人デザイナーが活躍した時代でもありました。
日本人デザイナーの脇阪克二(わきさか かつじ)がブーブーというデザインを発表したのも1970年代のことです。
ポップでかわいらしいデザインのブーブーは、子供も大人も関係なく、広い世代で人気を勝ち取りました。
特にアメリカでの人気が大きく、ファブリック製品に留まらず、食器やかばんなども作られました。
ちなみにブーブーは今でも売られている定番デザインのひとつです。
現在では、ベビー向けのロンパースやビブなどが人気です。
ちなみに、脇阪克二がマリメッコで活躍し始めるそのきっかけは、なんとアポなし訪問だったのだそうです。
自分の絵を5枚だけ持って単身フィンランドへ渡った彼は、直接マリメッコ本社へ。
決して堪能とは言えない英語で何とか情熱を語るも、一度は断られてしまったのが始まりなのだとか。
それでも、アルミ・ラティアは彼の才能を見出し、1か月という時間を与え、自由に絵を描いてみてほしいと話したのだそうです。
また、1970年代半ばには、もうひとりの日本人デザイナーである石本藤雄もマリメッコに入社します。
その後、1980年代には彼がデザインしたオスチャッキ(Ostjakki)やマイセマ(Maisema)が人気を博しました。
マリメッコの躍進、そして変革の時
1970年代はマリメッコにとって、さらなる躍進の時代でした。
その活躍はフィンランドの国内にとどまらず、世界へと広がっていくものでした。
1972年、日本とアメリカをはじめとして、海外とのライセンス契約を結び始めます。
ライセンス契約とは簡単に言うと、マリメッコの持つ権利についての使用許可を、与える契約のことを指します。
これによって、マリメッコのデザインや製品が他の国へと一気に広がっていくことになりました。
1973年にはヘルシンキに新しい工場が建設され、マリメッコは更に大きく成長していくのです。
しかし、1979年の10月3日、マリメッコの創業者であるアルミ・ラティアがこの世を去ります。
彼女の喪失は、マリメッコにとって大きな苦難の訪れを意味していました。
マリメッコを成功させた斬新な戦略は、アルミの中にあった明確なビジョンがあってこそのものでした。
アルミに賛同し、心をひとつにしていた者がどんなにいたとしても、彼女と同じ働きができるわけではありません。
アルミの死後からしばらくの間、マリメッコの社員たちはありとあらゆる試行錯誤を重ねました。
しかし、変革の時は訪れます。
それは1985年のこと。
マリメッコはアメル社に売却されることとなりました。
まとめ:変化、進化、変革の時代である1970年代
マリメッコの創業者であるアルミ・ラティアの力で、成長と躍進を続けてきたマリメッコに、大きな変革の時代が訪れます。
アルミ・ラティアの死、そして会社の売却。
しかし、皆さんもご存知の通り、それでマリメッコが終わってしまったわけではありません。
一度は低迷するマリメッコですが、この後は復活、そして更なる成長と躍進を続けます。
今回のお話はここまで。
ここから続いていくマリメッコのストーリーは、また別の機会にお話することにしましょう。
ではでは、Nähdään!(ナハダーン!)
(フィンランド語で、また会いましょう!という意味のあいさつです♪)
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